バンコクの鉛筆ロードを見て思う、奴らの遠回りには立派な理由がある!

「町」という漢字があります。

「町」は日本の行政組織の一つであると同時に、日本の住所表記を表すものでもあります。

この漢字は田んぼー「区画された耕地」に釘が打ち込まれた文字で、意味としては境界を意味するそうです。

日本は住所を表すのに、この「町」や「丁目」などを細分化した番地など、「エリア」を基準にして特定の位置を指し示します。

一方タイでは(都市部だけ?)どの通りにあるか? が重要なのです。

バンコクの王宮の近くにディンソーロード(ถนนดินสอ thanǒn dinsɔ̌ɔ)という通りがあります。

この道路は「鉛筆通り」という意味なのですが、全長1kmにも満たない道路なのに固有の名前が付いています。

バンコクでは届け先は「鉛筆通りの〇〇番」といった風にして郵便物に住所を記載するのが普通です。

この変な名前に少し興味がわいたのと、通りを基準に住所を把握するタイ人のメンタリティは日本人とはどう違うのか? ちょっと調べてみることにしました。

それではどうぞ

鉛筆の道 - ถนนดินสอ

まずは「鉛筆通り」の説明です。

この道路は民主記念塔につながっているので、個人旅行でカオサン通り辺りに宿をとっている人にはすぐ行けるところにあります。

まぁ世の中に道路マニアがどれくらいいるかわかりませんが…(笑)

とにかく旧市街と言っていい場所に通っているのがこの道路なのです。

この道は以前は「ถนนบ้านดินสอ thanǒn bâan dinsɔ̌ɔ」バーンディンソーロードと 呼ばれていました。

「鉛筆村の通り」という意味です。

そもそもこの道路は、案内板によると1898年の11月14日にラーマ5世の命によって建設がはじまりました。

旅行者の利便性と、馬車のためであったとのことです。

民主記念塔を起点とした「ディンソーロード」は民主記念塔からほぼ直線に南下しています。

途中トゥックディンという小道を通り過ぎ、更に進むとジャイアントスイングのあるスタットテープワララーム寺院(ワット・スタット)の前にあるバムルンムアン通りに合流します。

ここまでがディンソーロードです。

道が建設された当初は、このディンソーロード予定地沿いには長屋が立ち並んでいました。

また、途中にロットワットラーチャナットダラムとか複数の名前を持っている(笑)運河があり、その上を通過する場合、橋も同時に建設しなければなりませんでした。

これらの問題も克服し、ラーマ5世によって1899年の11月15日に開通したのがディンソーロードです。

ディンソーロードの名前の由来

この通りはディンソーロード、つまり鉛筆通りという珍しい名前をしています。

別に通りが真っ直ぐ鉛筆のようだというわけではありません。

元々、このエリアは鉛筆をはじめとした文房具を扱う業者の集まっている地区でした。

それでこの地区はバーンディンソー(鉛筆村)と呼ばれていたのです。

この地区を縦断して開通したので元々は「鉛筆村の通り」と呼ばれていたのは既にいいましたね。

この村、というか地区では国産のいろいろなノートとともに、黄色鉛筆や白鉛筆を作って売っていたそうです。色鉛筆のことではありません(笑)。

今でも鉛筆村(バーンディンソー)の名を冠したホテルなどにその名残を見ることができます。

これが全長約820メートルのディンソーロードの由来です。

都市の住所は通りがメイン

長々とディンソーロードの話をしましたが、この様に元々は村であった地区です。

そこに通りを建設し、通り沿いに家を建てたので郵便などの配達には「道」を基準としたものに変化しました。

そもそも住所というのは特定の誰かのいる場所をピンポイントでわかればいいので、その場所が敷地の中心点である必要はありません。

このバンコクの住所指定の方法などは出入り口を基準としたものとも言えます。

こういった方法は何もバンコクだけではありません。

半島の事情は知りませんが、中国なども住所の指定にはどの通り沿いかということが重要です。

これはアジアだけに限ったことではなく、例えばロンドンなどでもどのストリートなのか、どのアヴェニューなのかといった具合に道路が重要です。

ロンドンとかニューヨークとかの玄関って狭いですよね?

で、そういうことか! と思ったわけです。

特定のポイントを狭い範囲で大量に設定するには、そのポイント自体を小さくすればいいからです。

一般的に都市部ではこのように通りを主体に住所を特定する方法だと、狭い場所に多くの人が住めるという寸法です。

日本みたいに「囲繞地(いにょうち)」なんてものは基本的にはないのです。(たぶん)

囲繞地(いにょうち)とは、民法においては、他の土地に囲まれて公道に通じていない土地(袋地)にとって、その土地を囲んでいる土地をいい、また、刑法においては、柵等で周囲を囲んでいる土地をいう。 このように、民法と刑法で意味が全く異なる。 ー 引用:Wikipedia

日本の都市の特殊性

一方日本ではどうでしょうか?

この世界基準の都市のあり方でみると京都とか以外は特殊です。

一応日本の通りにも名前が付いていますが、住宅街の中にあるような狭い道路には名前がありません。(正式にはあるのかもしれませんが…)

郵便配達の人に限らず、多く日本人は特定の住所を認識するのに区切られたエリアをイメージします。

この辺りは〇〇地区だよね? とかです。

つまり、頭の中に地図があって、眼の前の景色で現在地を確認して、脳内マッピングをし始めるのが日本人の脳内プロセスです。

要するに日本の都市は京都以外は巨大な田舎だとも言えます。

まぁ京都人が他の地域の人を田舎者扱いするのはこういった事かもしれませんね(笑)

とは言っても、都市の構造としては田舎なのに複雑さが尋常ではありません。かなり特殊とも言えます。

そんな複雑怪奇なところで長く生活しているうちに、住民は何がどっちの方向にあるかなんてことは「通り」というパラメータなしにすぐに分かるように進化しました。

進化してない人は生きていけないのが日本の都市構造です。(笑)

一方、道路主体の地域で生活していると、特定の場所に行き着くのに言葉だけ(通りの名前だけ)で簡単にたどり着くことができます。

言われた通りに(笑)進めば自動的に目的地にたどり着くというわけです。

こういった都市では「通り」というのがとても重要なのです。なので「通りの名前」も大切な要素なのです。

だがしかし、今いるとこらからどっちの方向に目的地があるかはわかりません。

常に脳内の地図にグリッドがあり、移動とともに現在地も刻々と変化させることができる日本人とは、そもそも異なったナビゲーション思想なのです。(大げさ?)

というわけで

タイのタクシー運転手は地図が読めない

ということに納得がいった次第であります。

まぁ全員ではないかもしれませんが、結構な数がそうです。(体感比)

遠回りしたくてしてるわけじゃないんだな。ハッハッハー

と言いたいたかっただけです。(前フリ長っ!)

おわり