今でこそバンコクには世界中から旅行者が集まってきますし、タイだけではなく、東南アジアの中心地ともみなされているくらいに重要な場所です。
このように現代ではメガシティといっても過言ではないバンコクですが、そのはじまりはどういったものだったのでしょうか?
バンコクが特に重要さを増したのは、トンブリー王朝の時代に首都と定められてからが、その始まります。
その歴史を知ることは、バンコク、もしくはトンブリー地区をも含めたこの地域が、タイにとって重要な地区であることがより一層分かるきっかけになると思います。
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バンコクの名前の話
バンコクはタイ語で「กรุงเทพมหานครๆ(kruŋ thêep mahǎa nakhɔɔn クルンテープマハーナコーン)」と言います。
本当の名前はもっと長いのですが、「バンコク」という名前以外でバンコクを意味するときは「クルンテープ」と言うことが多いのではないのでしょうか?
このバンコクですが、「三印法」というラーマ1世がまとめたアユタヤ時代の法律に基づき名付けた名前としては「トンブリーマハーサムット」というものになるそうです。
その意味は「幸運の海による財宝」といったものです。
この幸運の海はタイランド湾のことと思われます。
それまでのアユタヤに比べ、海に近くなった首都がバンコクです。
しかし、王朝の変遷などにより、いつしか「บางกอก(baaŋkɔ̀ɔk バーンコーク)」と呼ばれるようになります。
しかしどうして「バーンコーク」と呼ばれるようになったかは、本当の所ハッキリはしていません。
ある説によると、「バーンコーク」と呼ばれるようになったのは、オリーブの一種である「มะกอก(makɔ̀ɔk)マゴーク」がたくさん生えていたからだと言われています。
また、「กอก(kɔ̀ɔk)」というのは、古代のモン語で「集める、集積する」ということで、すなわち「税を徴収すること」から来たのでは? という人もいます。
バーンという部分に関しては、家という意味の「บ้าน(bâan)」が変化したというものや、時々を意味する 「บาง(baaŋ)」がそれぞれ変化したものだという説などさまざまあります。
何れにせよ、「バーンコーク」という言葉は「税に関すること」という風に信じられています。
アユタヤ時代のバンコク
今だにバンコク地域の共同体がいつ出来たのか? という考古学的発見はなされていません。
ただ、チャイヤーラーチャティラート王という16世紀中頃のアユタヤ王朝第14代の王様の治世に、バーンコークに運河を掘ったと記録されています。
つまり運河によって、タイランド湾(当時のシャム湾)とアユタヤの間をショートカットするように掘削工事をしたのはこの時代のことです。
また、この工事によってバンコクが二つの地区に分かれることとなりました。
つまり今のトンブリー地区とプラナコーン地区です。
現在ではバンコクとして一つの行政区をなしていますが、長い間この二つのエリアは別々の行政区でありました。
現在でも西側のトンブリー地区を「ฝั่งธนบุรี(fàŋ thoburii)」、東の王宮のある側を「ฝั่งพระนคร(fàŋ phránakhɔɔn)」と呼んだりもします。
川向うとかこっち側といったニュアンスで使ってます。
従来のチャオプラヤー川の本流はバンコクノイという運河として現在でも残っています。
更にこの出来事が、バンコク地区を飛躍的に発展させるきっかけとなります。
それから、同じく16世紀中頃のアユタヤ18代目の王様であるチャクラパット王の時代、現在のバンコクの北に隣接するバーンクルアイ郡に運河を延長しました。
それはバンコクが更に重要度を増す端緒となります。
つまりノンタブリー郡とサーコンブリー郡(今のサムットサコーン)それぞれの地区と密接につながり、この一帯のことをシーマハーサムットと呼ぶようになったのです。
その後、バーンコークはシャム王国の直轄地となります。
この統治は、スリランカから来た僧侶のグループによる書簡をつかった方法によった、直接統治です。
時代は18世紀中頃のアユタヤ王朝末期の王様、34代ボーロマコトート王の時代でした。
この地には、そこを監督する領主として、貴族の館が常設されていました。
この貴族の役割からバンコクの歴史を紐解くことが出来ます。
その貴族の称号としては、
- ขุนวิ พัฒ นากร ปลัดซ้าย(クンウィパットナコンパラットサーイ)
- หมื่น วิสุทธิ อากร ปลัดขวา(ムンウィスットアーコンプラットクワー)
- ขุน ราชภักดี นาย ขนอน(クムラーチャパカディナーイカノーン)
- ขุน ภักดี สมบัตินาย พระขนอน(クンパコディソムバットナーイプラカノーン)
ちなみに爵位名の中にある「ขนอน(カノーン)」とは関所・税関と言った意味です。
つまり、分かっていることは、この地域とバンコク地区を指揮監督する貴族のタイトルの名前は、この地区の成り立ちとその起源を証明する重要な証拠と出来るのです。
それはこの地域が、税の徴収地でもあり、大きな市場からの収入を得ていたことになるのだそうです。
最後に
前王朝と、現在のチャックリ-の王朝の首都ということもあり、いろいろと史料も残っているだろうと思っていましたが、意外に首都になる前のバンコクについてはそれ程詳しいものはありませんでした。
それでもアユタヤ時代から重要な地域であったことは変わらないようです。
おわり