タイ語のすね毛に関することわざです。
日本語の中にすね毛を話題にした故事成語やことわざをちょっと聞いたことがないので、単に「おもしろそー」ってだけで選びましたw
日本では別名「ムダ毛」の一種とされて、邪険に扱われることの多いすね毛ですが、どーですか?
「アタシには関係ない!」
って仰るお嬢さんもいるでしょうが、お金に関する話題です。興味ないですか?(笑)
それではどうぞ
ขนหน้าแข้งไม่ร่วง
向こう脛の毛も抜けない
発音:khon nâa khɛ̂ŋ mâi rûaŋ
- ขน:体毛
- หน้าแข้ง:向こう脛(すね)
- ร่วง:抜ける、抜け落ちる
意味は、大したことない、取るに足らない些細なことというものですが、お金とか、財産に関係する場合にのみ使います。
最初にこのことわざを聞いたとき、すね毛も抜けないくらいすっからかんだから、逆の意味じゃないか?
とか思ってたんです。
すね毛なんて取るに足らないものです。(すね毛に特別な思い入れのある方スイマセン)
そんな取るに足らないものすら抜けないのなら、否定的な意味ではないか? …と
そもそもタイ人は頭髪に比べたらすね毛は抜けないものと思っているようです。
普通、すね毛はそんなに重要でない毛だと思われています。
すね毛程度ではすねを保護するほどの量もないですしね。
それに、仮にすね毛が抜けてしまっても、そんなに気に病むことではありません。むしろ喜ばしく思う人もいるはずです。
そんなすね毛が抜ける抜けないなんて「どーでもいい」話題です!
頭髪とは次元が違うんです(笑)。
では、なぜ困って苦しむほどの影響はないという意味になるんでしょうか?
スネの持つ象徴的意味
日本語に親のすねをかじるという言葉があります。
親の財産をアテにして、お金で苦労をかけるという意味です。
身に覚えないですか?www
僕は…まーそれはいいとして(汗)
単に親に苦労をかけるという意味ではありません。お金や財産に関することのみに使います。
このことから、日本語のスネには【お金・財産】といった象徴的な意味があると言えます。
一方、タイ語の場合はどうでしょうか?
「すね」に財産的な意味があるとするならば、このことわざの意味はスッキリ理解することが出来ます。
「すね」に生えている「毛」にさえもなんら影響を与えないくらいの些細なこと! というワケです。
つまり、スネ(の一部であるスネ毛)=財産にほとんど影響がないという意味になります。
どうです? 面白くないですか?
このタイのことわざは中国由来ではありません。
また、日本語のそれも中国由来ではなく、日本語の中から生み出されたものです。(たぶん)
タイと日本の間にはこんな風に似たような表現がチョイチョイあるので、不思議であり、興味の尽きない所です。
具体的な使い方の事例
ここまでスッキリ意味を理解できる日本人にとって、いまさら具体的な使用例を挙げるまでもないでしょう。
一応、親のすねをかじったことがなくて、よくわからない方もおられると思いますので、念の為。
事実の場合
お金持ちのご子息であるパーティ君は知り合いの日本人女性がいます。名を花子(仮名)といいます。
花子(仮名)はバンコクの日系企業で働いてますが、通勤ラッシュに辟易としています。
花子(仮名)「毎朝の通勤ラッシュで会社行くのホント大変!」
パーティ「電車乗るの嫌なら僕のフェラーリ1台あげるよ、それで会社行けば?」
花子(仮名)「えー、そんな悪いわよ..」
パーティ「気にしないで! ウチにはまだ後5台あるし、向こう脛の毛は抜けないだよ!」
事実でない場合
勤労青年のソムチャイ君は花子(仮名)と同じ会社でアルバイトとして働いてます。
ソムチャイ君は風のうわさで花子(仮名)が毎朝の通勤が大変だということを聞きました。
ソムチャイ「朝の通勤ラッシュが大変だって聞いたけど..」
花子(仮名)「そーなの、バンコクも東京も変わらないわね」
ソムチャイ「だったら僕が自転車買ってあげるよ!」
花子(仮名)「えー、そんな悪いわよ」
ソムチャイ「大丈夫、気にしないで!」
花子(仮名)「えー、でも自転車いくらするか知ってるの?」
と、ロードバイクのパンフレットを見せる
ソムチャイ「へ、平気だって。向こう脛の毛は抜けないだから…」
その後ソムチャイ君の残業が増えたのは言うまでもありません。
と、こんな風に使います。
フェラーリをポーンとあげるなんて、パーティ君は嫌なやつですねwww
まー、花子(仮名)のしたたかさには敵いませんが…
まんまとフェラーリと高級ロードバイク一台をゲットできた花子(仮名)、やっぱり女は怖い..という話でした。(ちがう!)
登場人物は全て架空の人物です。事実ではありません。
どうでしたか?
具体例は軽くスルーしていただけるとありがたいです。
今回紹介したことわざだけでなく、タイと日本には「似ているけどチト違う」といったものが数多くあります。
それは、言葉だけでなく習俗にも言えます。
例えば以前少しだけ紹介した日本の新嘗祭とタイの種蒔き祭とかです。
この辺りは同じ稲作文化に属するので、まーアリかなってところですが、他にも「似ているけどチト違う」コトはたくさんあります。
そんな「似たもの」を見つけるたびに段々と「この2国間には何かあるんじゃないか?」と思うようになるくらい、飽きさせない国です。
そんなこんなで今回は以上。
おわり