「悪事、千里を走る」ということわざがあります。
今回紹介するタイ語のことわざはこれとは似ているようで少し違うものです。
この「少し違う」ところがタイと日本の文化の差であり、こういうところを少しづつ掘り起こして見よう! という趣旨でことわざの訳をしている次第です。
どーもあそーくです。
タイと日本は同じアジアの国で、仏教を信仰しているなど共通点が数多くあります。
で、その共通しているけど少し違うのが面白いところと思います。
今回紹介するものも「悪事」に対する態度が日本とタイとでどう違うのかを掘り下げてみたいと思います。
それではどうぞ
ช้างตายทั้งตัว เอาใบบัวมาปิด
死んだ象を蓮の葉でかくす
発音:cháaŋ taai tháŋ tua aw bai bua maa pìt
- ช้าง:象
- ตาย:死ぬ
- ทั้งตัว:N + ทั้ง + 類別詞 Nまるごと→一頭まるごと
- เอา + N + มา:Nを持ってきて
- ใบบัว:蓮の葉
- ปิด:閉める、覆い隠す
秘密を隠すことは絶対にできないというのがこのことわざの意味です。
蓮の葉は大きい葉っぱですが、その大きさというのはたかが知れてます。それで象の死骸を隠すということは…
ま~無理ですね。例えどんなに大きな蓮の葉でも、隠すのが小柄な象でもです。
蓮の葉というのは宗教的に(特に上座部仏教では)重要で、また象もタイでは重要な動物です。
しかも、この秘密というのは、どちらかというと悪い意味の秘密ですので、象が悪い秘密の象意(笑)となっています。
なんで象が例えとして使われたかと言うと、単に「大きい」からということでしょう。
その「大きい」象を「小さい」蓮の葉で隠すことはどう考えても無理です。
「象の墓場」というのは象の自然状態での死骸というのがめったに見られなかったという伝説から来ています。
この象はアフリカゾウの話で、タイにいる象とは種類が異なりますが、それでも象の行動形態としては「死体を晒さない」ということは想像できます。
仮に蓮の葉などの小さなもので隠した程度なら見つけるのは容易で、伝説などにはなりません。
蓮の葉で「隠す」というコトは不可能なのです。
悪事や極悪な最低な過ちのような行為は、どんなにがんばって隠そうとしたり消し去ろうとしても、起こした事実から逃げおおせる方法は無い、いつかは世の中に広まってしまう、ということを戒めたことわざなのです。
今はまだ白日のもとに晒されていなくても、いずれは世の中に知れ渡ってしまうだろう、というようなことを意味する場合もあります。
つまり、悪事はどんな方法で隠したとしても、完全に隠し通せるものなどないという意味です。
日本語の「悪事、千里を走る」は基本的に悪事はバレることを前提としている点が違います。
ช้างตายทั้งตัว เอาใบบัวปิดไม่มิด
このことわざには別の言い方として
ช้างตายทั้งตัว เอาใบบัวปิดไม่มิด
というものもあります。
前半部分は同じなので省略しますが、
発音:~ mâi mít
- ไม่:~しない、~ない
- มิด:密閉した、隙間のない、完全な
となって、ことわざとしての意味は同じです。
この場合のことわざでは、完全でなく、とか隙間だらけでとかの言葉を補うことで、隠すことの不完全さを強調しています。
意味は全く同じですが、こういう言い方をする場合もあるので一応覚えておいてください。
どんなに頑張って隠そうとしても無理です。頭を隠したら身体が隠せず、おしりを隠したら頭が出てしまう。「頭隠して尻隠さず」のイメージそのものです。
どの部分に蓮の葉をおいても、必ずボロが出てしまうということ ー 完全に覆い隠すことはできないということを強調した言い方です。
どんなときに使う?
この悪事は基本的には大きな悪事に対して使います。
小悪には使いません。といっても大げさに冗談ぽく使うことはあるかも知れませんが、このことわざの想定している秘密は基本的に巨悪や極悪非道なことに対するものです。
大きい悪かどうかの価値判断は主観的なものなので難しいですが、ちょっと人にぶつかってしまったようなことには絶対に使いませんww
また、自分の過ちを自ら告白しない人や、無かったことにしようとする人に対しても使います。
「どうせバレるんだから、サッサと吐いちまいな!」
的な感じです。
隠そうと画策することで、悪事レベルがワンランクアップするということです。ww
具体的使用例
例えば
お母さんにも言ったほうがいいよ「死んだ象を蓮の葉でかくす」だよ! 隠し通すなんて無理だって! 後でお母さんに見つかったら大変だって!
なんて風に使います。
この子供はどんな悪事を働いたのでしょうか? 言わなければマズイレベルの悪事ですが、言えばワンランクアップのペナルティは免れるレベルということです。
子供にとってお母さんは神にも等しい存在ということがよくわかる例です。(笑)
小学生のG君は子供のくせにうな重が死ぬほど好物です。
大金を眼の前にしても「うな重何杯分」で換算しないと理解できないほど年がら年中ウナギのことで頭がいっぱいです。
そんなG君が下校途中です。空腹で今にも倒れそうな状態で一刻も早く帰宅しなければなりません。
そんな彼の前にウナギを焼いたいい香りが漂ってきました。
失神間近の彼はついフラフラと匂いに釣られ、香りの漂ってくる方向へ歩いていきます。帰宅方向とは違う道です。
匂いの元は新装開店のうなぎ屋です。
ついつい勝手に店に入ったG君はテーブルの前にあるうな重を発見してしまいます。
席には誰も座っていません。トイレにでも行っているのでしょうか?
G君はじっとうな重を見つめているだけのつもりでしたが、気がつくと完食していました。
意識を取り戻したG君は、焦ります。小学生に払える金額ではありません。うな重1杯分の値段です。
そのままこっそり店を出ようとします。
しかしこれは「死んだ象を蓮の葉でかくす」なのであります。
口の周りはうな重のタレでべっとり汚れているんですから…
といった感じです。
正直に言ったところで許されるわけはない状況ですけど(笑)。
おわり