マハカーン砦 バンコクの東の守りはこの砦に任せていた歴史的建造物!

バンコクには砦が4つ存在しています。

今回紹介するのは、そのうちの一つマハカーン砦です。

王宮から歩いていける場所にあるので、旅行でバンコクに来た際に「もうひとつどこかに…」といった場合にオススメのスポットです。

とはいっても

「バンコク? 砦?」

となる方も少なからずいると思います。

そこで今回はこのマハカーン砦とは? といったところを中心として紹介したいと思います。

それではどうぞ

マハカーン砦の場所

場所は民主記念塔のすぐ脇にあります。

簡単な案内板(英語&タイ語)もあるのですぐに分かると思います。

砦と行っても日本の城のようなものを想像して来るとがっかりすると思うので、過度な期待は厳禁です。

日本の城の櫓門並かそれ以下の小ぶりなサイズのものです。

まぁ用途としては運河からの敵の侵入を防ぐのが目的なので、水面からはそれなりの高さになります。

櫓門(やぐらもん)は、門の上に櫓を設けた、特に城に構えられる門の総称である。 二階門とも。 ー 引用:Wikipedia

センセープ運河が、マハナーク運河と合流する場所に造られた砦なので、運河を目指していけばまず迷うことはありません。というか道沿いに見えるので白い塊が見えたらそれがマハカーン砦です。

バンコクの砦の概要

バンコクに砦が建造されたのは、アユタヤ後期から現王朝であるラタナコーシン時代にかけて、バンコクの町を防衛するために造られたものです。

最も初期に造られたものは、15~16世紀にかけて、バンコクがアユタヤの前哨地だったときのものです。

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このときの砦は、チャオプラヤー川から敵の侵入をガードするためのものでした。

これらの砦は1767年にアユタヤ王朝がビルマ軍によって崩壊した後、トンブリー王朝時代に再建されました。

1782年にラタナコーシン王朝になると、新しい砦や城壁が築かれました。

しかし、19世紀後半にバンコクは急激な近代化の時代を迎えました。

そのため、この都市を拡張していた時期にその殆どは壊されてしまい、ビルや道路の建設が始まりました。

その結果、現在まで残っているのは4基となってしまいました。

マハカーン砦は、その歴史的価値を留めるという名目のもと、ラーマ7世の時代に王立協会によって取り壊さずに残すことに決まり、現在に至るわけです。

マハカーン砦について

マハカーン砦は現在残っている4つの砦のうち、城壁の一番東に位置しているものです。

この砦は現在はバンコク都庁(BMA)の管轄下にあります。

そもそもはラーマ1世によって建造された14の要塞のうちの一つでした。

現在はパンファーリラート橋(センセープ運河の起点)の袂に位置しています。

ここは運河ボートのパンファー船着き場のすぐそばなので、ボートで来ると便利です。

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砦の形は八角形で、三層の構造になっていて、全体は直径38メートル、高さ4.9メートルの規模となっています。

三層といっても外部からは上下二段の構造にみえますが、実は地下があり、全部で三層ということです。

屋根は蓮の葉を逆さまにしたかたちで、砦の上段と下段には狭間が設けられていて、「ใบเสมา baiseemaa バイセーマ」の形でくり抜かれています。

狭間(さま)とは、おもに日本の城の天守や櫓の壁面、塀などに開けてある防御用の穴や窓のこと。銃眼、砲門とも。ー 引用:Wikipedia

バイセーマとは、お寺のお堂とかの周辺で結界をつくる石のことで、横に180メートルに広がった城壁へとつながっています。

御仏の加護というわけですね。

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この狭間には6門のキャノン砲が設置されています。(たぶん使えませんwww)

街を囲んでいるこの砦と運河は1949年に歴史的建造物に指定されています。

現在では照明も設置されていて、日が落ちた頃にはきれいにライトアップされたマハカーン砦を見ることが出来ます。

ちなみにこの砦と城壁は、1981年にラタナコーシン開闢(かいびゃく)200周年の年に修理されています。

マハカーン砦と立ち退き問題

この砦近くの城壁と運河の間には古くから居住地があり、その建物は歴史的な特徴を残すものでした。

そして、古いタイオペラ(リケ-)では有名な場所でした。

ローイクラトンの時期にはこの辺りで花火も売っていたそうです。

ラーマ1世から4世の頃までは位の高い貴族が住んでいる高級住宅地でもあったそうです。

バンコク政府としてはこのエリアに公園を作る計画があり、その住民による反発が長い間ありました。

一時は人が住みながら、ここを博物館として残そうという動きもありましたが、結局それは実現することなく、2016年に補償金を支払うという形で立ち退きすることになりました。

2018年の4月には全ての立ち退きも終了し、現在では公園として整備されています。

最後に

ラーマ9世の時代には一時帰10バーツ紙幣のデザインとしてこの砦が描かれていた時期がありました。

紙幣のデザインに取りあげられるくらいの歴史的建築物です。

日本で言えば平等院鳳凰堂クラスの建造物です。

王宮まで来ていながら、そんな最重要文化財であるこのマハカーン砦を訪れない手はありません。

暇があったらとは言わずに、是非この砦を訪れてみて下さい。

おわり