マレー半島とインドシナ半島に挟まれたようにあるのがタイランド湾です。
チョンブリー県はこのタイランド湾の一番奥にある更に小さな入江の東岸に面したところにある県です。
このチョンブリー県はバンコクからも比較的近く、パタヤなどもこのエリアに属しています。
今回はパタヤよりは北部に位置しているノーンマーイデーンという地区に伝わる話です。
それではどうぞ
ノーンマイデーン หนองไม้แดง
古代のドヴァーラヴァティー王国の時代、現在のチョンブリー県の県庁所在地のチョンブリー郡のノーンマイデーンという地区は、かつてはシーパロー(ศรีพะโร/ศรีพโล)と言われていました。
ドヴァーラヴァティー王国(ドヴァーラヴァティーおうこく)は、6世紀ごろから11世紀ごろまでに存在したといわれるモン族による王国。 議論はあるが、ナコーンパトムを中心としたチャオプラヤー川沿いのモン族による都市国家の連合体であるという見解が現在のところ有力である。 ー 引用:Wikipedia
このシーパロー国は海辺に面していて、バーンサーイという地区まで続く長い砂浜があります。
この地域からは様々なものが発掘されていて、サンカロークの陶器をはじめ、乳石英や金、ブロンズ製の仏像のほかにも、モルタルで作られたワニなどが出てきています。
これらの発掘物はスコータイ時代のものの特徴を示しているそうです。
サンカロークの陶器とは、タイのスコータイ県、サワンカローク周辺で作られる陶器のことです。日本では宋胡禄(すんころく)焼きとして知られています。
そしてこのような発掘物がたくさん出土される背景として、この地域が海外との交易都市として重要な港を擁していたということがあります。
今回紹介するのはこの町が交易で潤っていたときの話です。
ムアン・シーパロー
むかしむかし、この土地には外国や、他の地域から多くの船が交易のため絶えずやってくるような時代がありました。
そのためこの地域では商業が栄え、シーパローの領主もそんな商売をやっている一人でした。
このシーパローの領主は他の都市との交易でかなりのお金持ちとなっていました。
しかし大金持ちに慣ればなるほどそれに比例するかのように、この領主は貪欲になっていってしまったのです。
来る日も来る日もこのシーパローにやってくる商人たちを騙し、不正に励んでいました。
彼ら商人たちには「中傷に値する大富豪」と見られていました。
その「中傷に値する大富豪」が商売で荒稼ぎして得た財産は莫大なもので、その全てを正確に把握することは出来ないほどでした。
ある日のことです。
その大富豪の領主が牛車に自分の荷物をのせて、運ばせていたときのことです。
この大富豪一行はある山の前を通りかかりました。
その山というのはプラプッタバートバーンサーイ山のとなりにある山のことです。
この山の前を通りかかったちょうどその時に、牛車の片輪が外れてしまったのです。
もちろん荷台の荷物は全て放り出されてしまいました。
大富豪の運んでいる荷物です。その量といったら通常の荷物の比ではありません。
そしてあろう事か、この山は崩れてしまったのです。
山が大富豪の財産の重さに耐えきれないくらいの量だったということです。
それ以来、この辺りの村は「コーカオカート」と呼ばれるようになったということです。
「コーカオカート」とは「คอเขาขาด」ー 山の首が欠けるという意味です。
この「中傷に値する大富豪」の領主が牛車に大量の財宝を運んだために牛車の轍(わだち)が出来ました。
そしてこの轍のある道は「コーカオカート」から同じチョンブリーの中部にある「パナットニコム郡」まで続き、現在でも使われているということです。
最後に
「中傷に値する大富豪」とはタイ語で「เศรษฐีพาโล (sèetthǐi phaaoo セーティーパーロー)」といいます。
「เศรษฐี」は富豪とか大金持ちといった意味で、「พาโล」には誹謗する、中傷する、無実の罪をきせるといった意味があります。
シーパローの「パロー」はこの誹謗・中傷といった意味のこの「大富豪の領主の物語」から来ているという名前由来譚です。
ちなみにシーパローの「シー(ศรี sǐi)」の部分はタイ語で吉祥とか、美麗、光輝、雄大、成功などありとあらゆる美辞麗句が一つに凝縮されている言葉です。
そういう良い意味の言葉なので、都市の名前の中にも付いていることがあります。
アユタヤの正式名称「プラナコーンシーアユッタヤー
พระนครศรีอยุธยา」の中にも入っていたりしますね。
面白いのが、この「ศรี」には上述した意味の他に財産といった意味もあることです。
とすると、この町の名前である「シーパロー」は中傷に値する財産ということになります。
そんな不名誉な名前を説明するために「悪い領主」を作り上げて物語を作ったのかもしれません。
もっとも現在ではその名前すら使われていないのですが…(笑)
実際は豊かな町だったので
「何か良からぬことをやってるに違いない」
という周りからのやっかみだったのでは? と言った所ではないかと思いますが…ホントのところはわかりません。(笑)
おわり