【祝!2025年大阪万博】国際博覧会におけるタイと日本の歴史的な関係

2025年に大阪で万国博覧会を開催することになりました。

大阪で開催される一般博としては実に55年ぶりです。

前回大阪で開催された万博のときは、まだ生まれてない方も多いのではないでしょうか?

それでも岡本太郎氏の太陽の塔は見たことくらいはあると思います。

日本での国際博覧会は、2005年に開催された愛知の愛・地球博が最後です。その時からでも20年ぶりです。

この万国博覧会ですが、日本が最初に参加したのはまだ明治になる前の話です。

実は最初に日本が参加したパリ万博からタイと日本はふか~い関係があったのです。

そんなタイと日本の万国博覧会についての話です。

万国博覧会と国際博覧会は同じものですが、便宜上、前回の大阪までを万博(万国博覧会)としています。

それではどうぞ

2020年ドバイ国際博覧会

大阪万博は2025年ですが、その前にドバイで2020年に開催されます。

実は万博というのは登録博と認定博というのがあります。

国際博覧会の区分と手続き:国際博覧会は会場の規模やテーマなどから、主に“登録博覧会(登録博)”と“認定博覧会(認定博)”の2つに大別されている(以前は「一般博」と「特別博」に区分されていた)。最大の規模の国際博覧会である登録博は1995年以降は5年ごとに開催され、その開催地はBIEでの投票で決定される。ー 引用:Wikipedia

ドバイの開催が決定するにあたって他にも

  • トルコのイズミール
  • ロシアのエカテリンブルク
  • ブラジルのサンパウロ

の3都市も候補地となっており、4都市の中での投票で決定されました。

しかし2020年の候補地は実はもうひとつあったのです。

それが

タイのアユタヤ!

でした。

タイ初の登録博となる国際博覧会が開催されるための候補になっていたのが、なせ外されることになったのか?

これにはちょっとした事情があります。

2020年の国際博覧会に立候補するのは、タイ側として既定路線でありました。

博覧会国際事務局(BIE)の視察も来るまでになっていたんです。

こういった事情なので、地元も盛り上がりも半端なく、マスコットやポスターを制作するなど準備も万端でした。

ここまでしていたのになぜ候補地にさえならなかったのでしょうか?

BIEが視察に来たということは、当然開催するにあたり、タイ側の計画に対していくつかの質問をするはずです。

実はこのBIEからの質問に対して、政府は何の回答もしなかったのです!

はぁーーーーーーっ?

ってなりますよね?

アユタヤ市民なら尚更です。

政権交代とかの事情が関係してるようですが、BIEはそんな国内事情は知ったこっちゃありません。

当然ながら候補地からは脱落することとなりました。

タイ側の開催にあたっての担当局長は

「この損失は国のイメージを傷つけ、国際博覧会のための資金がすべてムダになった…」

と語ったそうです。

まーなんとも言えない気分でしょうが、なんと言えばよいのやら。

第一回大阪万国博覧会1970

日本万国博覧会と称された1970年の万博(以下大阪万博)ですが、実は沖縄返還前なのです。

前回の大阪万博でもタイ王国としてブースを出しています。

当時のタイブースのテーマは「平和的協力と調和のなかのタイの進歩」でしたが、その後はどうなったんでしょうか?

当時のタイのブースには、タイシルクや、木・竹・革製品などのタイの工芸品だけでなく、タイのルビーやサファイアなどの宝石類や大理石などの鉱物資源も展示されてました。

タイ国立美術館が所蔵している国宝や重要文化財も出展されていたようで、かなり力を入れていたようです。

タイの万博への参加の歴史は古く、最初に参加したときから出展に関して金賞を受賞したりと、かなり優秀な参加国です。

1867年第2回パリ万国博覧会

エッフェル塔

この1867年のパリ万博は日本が最初に参加した万博として、日本では重要な歴史的意味をもった万博です。

1862年のロンドン万国博覧会より、駐日英国公使であったラザフォード・オールコックが収集した日本の美術品などが展示されており、ヨーロッパはジャポニズム(日本趣味)が徐々に流行しつつありました。

こういった事情もあり、日本のブースは当初よりかなり注目されていたのは間違いありません。

当時は日本はまだ徳川政権の時代で、幕府として参加したのですが、同時に薩摩藩や佐賀藩も参加していました。

特に薩摩藩に関しては薩摩・琉球王国として幕府とは別で独自に参加しており、日本国とは別の国として出展していました。

ガバメント(政府)の意味に対する誤解もあったようですが、現地に於いても、この頃の日本事情については混乱しているようです。

薩摩藩として出品しているものに関しては、薩摩切子など、幕府側の出展したものより注目度が高かったと聞いております(笑)。

こんな感じで幕府としてのメンツが潰されたような状態だったので、幕府と薩摩は相当もめたようです。まー当然ですけどww

実はタイ(当時はシャム、以下タイとする)が万博に初参加したのも、この第2回のパリ万博なんです。

ラーマ4世の時代で、チャクリ-改革の初期に当たります。

チャクリー改革:タイのラーマ5世によって行われた一連の近代化のための改革のことである。狭義にはラーマ5世の改革のみを指すが、広義にはラーマ4世における近代化政策からラーマ6世までの一連の改革を指す。ー 引用:Wikipedia

そして、日本ブースの隣にあったのがタイのブースです。

タイのブースには白象もいたようで、このアジアのブースの展示エリアはフランス人の注目度は高かったはずです。

アジアのブースには日タイ以外にチャイナのブースがあり、この3国はアジアの独立国として一緒に説明されていました。

展示されているエリアも同じブロックだったのですが、チャイナのブースだけは期待はずれな、残念な感じだったと記録には残っています。

パリっ子からの期待が大きすぎたのでしょうか? 清国(当時のチャイナ)はアジアの大国というイメージでしたから…

そして、前述したようにこの第2回パリ万博でも、タイの出展は金賞を受賞しています。

いずれにせよアジア勢が最初に参加した第2回パリ万博で、日本とタイがアジアの存在感を高めたのは間違いありません。

2020年の東京オリンピックに続いて2025年の大阪開催が決まったことにより、海外の日本ブームは今しばらくは続くことと思います。

2025年の大阪万博では、タイ王国は一体どんな展示で楽しませてくれるのでしょうか?

おわり